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ジャスパー・モリス ブルゴーニュ2012年ヴィンテージ・レポート Burgundy 2012 Vintage Report

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Burgundy 2012 Vintage Report by Jasper Morris MW
マスター・オブ・ワイン ジャスパー・モリスによる
ヴィンテージ・レポート

2012 Growing Conditions ブドウの生育状態

2011年から2012年にかけての冬は、比較的穏やかなものでした。暖かく、時折じめじめしてはいたものの、雨は滅多に降りませんでした。我が家の庭の隅にある小川は真夏時ほどにやせ細り、また庭の植物を休眠に誘うような厳しい霜も降りませんでした。2月に入って間もなく、極端な変化が訪れます。2週間にわたって、マイナス15度にも及ぶ寒波が到来したのです。その温度自体は危険なレベルではなかったものの、寒波の遅い訪れと激しい北風は破壊力のある組み合わせで、水道管の破裂事故は広い範囲に及びました。2009年12月の厳しい寒さによる爪痕からゆっくりと立ち直ってきたブドウ畑においても、多少の影響が出たと思われます。この寒波の最中に、ボージョレの畑では明らかに若干の被害がありました。

2月の末には暖かさが戻ってきます。続く3月は途方もないほどに素晴らしく、気温も夏季と見紛うほどで、植物の成長も活発になりました。しかしながら全く降雨がないので、その当時は不安を覚えさせられました。4月は涼しく、ほとんど毎日ある程度の雨を伴っており、湿っぽく陰気な月でした。例外は4月17日の火曜日で、雲一つない空が明け方になって、多少の霜の害をシャブリとサントネにもたらしました。こうした不安定な状況は5月まで続きます。2007年の時のように、大統領が変わるついでに天候も好転しないものだろうか、と思ったりもしましたが、悲観的で右寄りのシャブリのヴィニュロン(栽培醸造家)達は、1981年不運が重なったことを忘れてはいませんでした。その年、フランソワ・ミッテランが社会党から初の大統領となったうえ、その数日後に壊滅的な霜の被害に見舞われたのです。実際現オランド大統領任命の2日後の5月17日にはまた、シャサーニュ・モンラッシェとサントネで局地的な霜害を被っています。

3月の'熱波'以降、ブドウの樹の生育は大分先行していましたが、この頃には逆戻りの様相を呈していました。ヴィニュロン達は、"一日降って、一日休み"という雨のサイクルが続くことにげんなりし始めていました。べと病などの脅威がまさに迫りつつあるというのに、病害の防除や処置を行ったり、畑の管理に入るのが難しくなってしまうからです。あいにくの空模様はそのまま3ヶ月目、6月に突入し、開花にまで深い影を落としました。中でもとりわけ6月7日の雹混じりの土砂降りは、コート・ドールのいくつかの場所で開花へと影響を及ぼしています。クルール(初期のブドウが成長せず落果すること)やミルランダージュ(ブドウが肥大しないまま残ること)も多く見受けられました。

6月を通して雨が降り、さらに7月の半ばに差し掛かると、やきもきする気持ちが絶望へと傾きます。毎日降るというわけではなかったため、畑にスプレーを散布することは可能だったものの、ヴィニュロン達の神経と体力にも疲労の色が見え始めます。良好そうな日でさえ暑い上に湿っぽくなりがちで、しばしば嵐や、時には雹にまで姿を変えました。すなわち、べと病とうどんこ病両方のリスクを意味するわけです。これらの問題に対処すべく畑作業における人件費は膨らみ、最終的に例年よりかなり低い収量に留まる見込みであるにも関わらず、栽培農家は大きな投資を強いられることになりました。さらなる悪い知らせは7月12日、極端な気温上昇といった形で突然現れ、むき出しのブドウの房を焼きつけました。

7月21、22日の週末、喜ばしい陽の光と涼やかな北風と共に、遂に天気がひっくり返ります。8月は時折突発的に著しい暑さも見せながらまさに夏、と言える天気でしたが、それでもなお隙を見て暴風雨の横やりが入りました。こうした嵐はその多くが雹を伴い、結果的にほぼコート・ドゥ・ボーヌ全域に及びましたが、なかでも8月1日はとりわけ酷いものに襲われました。栽培家が安らげる瞬間は、夏の間中ひと時たりとも訪れませんでした。さらにこの頃には、3年連続で低水準となったピノ・ノワールの収穫高の中においても、この2012年が最も少なくなるであろうことがはっきりとわかっていました。実質唯一豊作であった2009年を除けば、2007年に始まる6年間でも、うち5年は不作だったともいえるのですが。

9月は暑くも素晴らしい10日間から始まり、その後にわかに秋らしくなりました。しかしなおも11日火曜の夜、サントネとピュリニーを嵐が襲いました。

14日の金曜日に収穫を始めたグループにはアルノー・アントとドミニク・ラフォンが含まれており、あまりかんばしくなかったそれ以前の天候を鑑みると、サンプリングした彼らのブドウはむしろ熟していました。事実、東へと進路を取る大西洋低気圧の脅威は決して立ち消えることがなかったものの、最初の週の収穫は予想よりはるかに良いものでした。最終的にその懸念は21日金曜日の午後雨として形になり、一晩中強い雨を降らせた後、22日の朝にはどんよりとして湿っぽい霧へと姿を変えています。

この頃までには、コート・ドールの白ブドウはその大半を摘み取り終えており、コート・ドゥ・ボーヌの黒ブドウは目下進行中、コート・ドゥ・ニュイのほうも始まりかけているといった感じでした。23日の日曜は晴天の予報もあり、コート・ドールのあちこちのブドウ畑で忙しい日を迎えました。ただ実際には、その日の午前中はずっと霞が立ち込めて霧雨が降っており、ランチタイム後になってはじめて晴れ上がったのですが。収穫期が後半に差し掛かっても、一見してそれとわかるほどのブドウの腐敗も見られず、また楯となる厚い果皮も手伝って、病害が流行する恐れがほとんどといってよいほど見受けられませんでした。それどころか、大量の水を吸い上げて果実が水っぽくなることさえもありませんでした。

午後には大分回復しましたがその週の月曜24日は荒れ模様で、早い時間から午前にかけて雨と強い風がありました。火曜は曇り空と共に始まり、時折小雨があったものの日中は晴れやかなものでした。その晩の酷い嵐はこの週最悪の天候を告げる前触れで、一晩中、そして翌水曜の丸々一日かけて、絶え間なく雨を降らせ続けました。ほとんどのコート・ドゥ・ボーヌの生産者がこの時には収穫を終えていましたが、コート・ドゥ・ニュイの慣例的な後発組は、まさにちょうど始めようかというところでした。曇天は木曜の朝には晴れ上がり、その後の収穫も、より涼しくなるが晴れるだろう、という予報どおりでした。いつものことですが、早く収穫したところ、遅く収穫したところのどちらも、それぞれの選択が正しかったと固く信じています。ただ、9月26日の強い雨に関しては、果実の腐敗も引き起こさず、全く被害が出なかったということで誰も異論がないようです。

いずれにしても収穫量は、予想よりもさらに酷くすらありました。通常より収量が少ないことはこの数か月で明らかとなっていましたが、そればかりかブドウに果汁がほとんどありませんでした。つまり、厚い果皮といくらかの果肉ばかりで、あまり液体が含まれていなかったのです。成熟度のある風味、多すぎない適度な糖分、そして理想的な酸味のバランス。ヴュニュロンたちはかなりいいワインになるに違いないと考えましたが、いざ手元のワインがいかに少ないかということを悟ると、皆落胆の色を隠せませんでした。嵐の被害が一番大きかったコート・ドゥ・ボーヌでは、しばしばヘクタール当たり15ヘクトリットルもしくはそれ以下で、とりわけ開花に難があったニュイ・サン・ジョルジュもそれをやや上回る程度。しかし例えば、シャンボール・ミュジニーなどは比較的まだ良い方だったようです。

マコネ、そしてシャブリもまた、ムルソーやピュリニーよりも良い結果に終わった模様です。シャブリにおける収量は霜害や開花の具合によってまちまちでしたが、そのほとんどがほんのわずかに低めといったレベルで、酷くやられた区画が少々あったという程度でした。また、明らかにヨンヌ県においてはかなり珍しい気象条件なのですが、夏には干ばつという別の問題にも多少悩まされたようです。9月半ばの雨は、果実が成熟プロセスを終えるのになくてはならないものだからです。中にはかなり早く収穫するところもあり、9月の末頃には摘み終わっていました。その他は皆、10月に入ってから収穫を始めています。

Jasper Morris MW
Burgundy Director